安藤昭子コラム「連編記」 vol.12 「物」:あらわれくる世界の中で
「編集工学研究所 Newsletter」でお届けしている、代表・安藤昭子のコラム「連編記」をご紹介します。一文字の漢字から連想される風景を、編集工学研究所と時々刻々の話題を重ねて編んでいくコラムです。
INDEX
連編記 vol.12「膜」:あらわれくる世界の中で
└ 映画「国宝」から溢れるものの正体
└ モノたちが織りなす、動的な宇宙
└ 認識論から存在論へ、世界から世界たちへ
└ 「情緒」というセンサー
編集工学研究所からのお知らせ
└ 佐藤優の「インテリジェンス編集工学講義」
7/19(土)開講
└ Hyper Editing Platform [AIDA] Season6
「座と興のAIDA」無料説明会 8/1(金)
「連編記」 vol.12
「物」
あらわれくる世界の中で
2025/7/16
映画「国宝」から溢れるものの正体
映画「国宝」(李相日監督)の勢いが、凄まじい。封切りから一カ月で観客動員数が300万人を超え、その後も勢いは止むことなく各地の映画館を連日満席にしているそうです。あらゆるコンテンツが時短化するこの時代に、3時間もの長尺作品がなぜこれほどの社会現象になっているのか。李相日監督の音響・映像美、吉沢亮さん・横浜流星さん等役者陣の力量、吉田修一さんの原作の力、さまざまな角度から称賛する記事が続々とネットにあがっていますが、それらすべての魅力を抱き込んでヒットを後押ししているのは、強力な「口コミ」現象だそうです。では、なぜ人は「国宝」を口コミしたくなるのか。
私も先月映画館に足を運びましたが、観終わって最初に押し寄せたのは、感動や歓喜を通り越したなんともしれぬ戸惑いでした。その呑み込まれるような、食らわされたような、作品のあまりの力を前にして「感想」めいたものがいっこうに追いつかない。エンドロールのあいだ身じろぎ一つしない張り詰めた観客席の気配からも、同類の放心を感じていました。自分が観たものは何だったのか?、そう反芻するほどに内側がからっぽになっていくような、妙な浮遊感です。はいってきてしまったエネルギーの出口を探して、大切な人に「絶対に映画館で観たほうがいいよ」と力を込めて伝えるのが精一杯になるような、そういう類の戸惑いと困惑です。「感想」として消化しきれない残余が、こうして「口コミ」現象の波を起こしていくのかもしれません。
作品に宿るこのような力を、言霊(ことだま)ではなく、何霊と言えばいいのでしょうか。映像も音響もなかったころから、もしくはまだ文字も持たなかったころから、人類は幾多の「物語」を語り継いできました。きっと最初から伝承を目指したわけではなく、すぐれた物語は何かを溢れさせながら、やむにやまれず人の口を伝って広がっていったのではないかと思います。
物語の「もの」は、古代語においては「物(thing)」でもあり「霊(spirit)」でもありました。「もののけ」の「もの」です。「ものものし」といえば厳かな空気を、「ものすごし」は曰く言い難い力を表します。現代でも「ものさびしい」「ものしずか」などといいますが、単に「寂しい」「静か」というのとでは感じ取る気配が違うように、「もの」には何か名状しがたい力が宿ります。
折口信夫は、「物語」の語源を「物の語り」であると見ました。ここでの「物」は、霊的な存在(神霊や精霊)を指しています。そうした「霊(spirit)」としての「もの」が先にあり、それに人が耳を澄ませるようにして語りが生まれると考えました。このように、日本の「物語」感覚は、作者によるプロット構想が先にあるフィクションというよりも、「物」が先導して人に語りを開かせる感覚上のリアリティを扱うものだったのだと思います。
この世界には、語られることを待つ名状しがたい力が充満していて、人々はそれらをすくい取るように感受しながらその一部として生きている。「物語」は、そうした世界の内にある者たちの存在を互いに確認し合うフィルターの役割を担ってきたのでしょう。
モノたちが織りなす、動的な宇宙
こうした物語感覚は、「世界をどう見るか」というよりも、「世界のほうから何かが立ち上がってくる」その気配をどう感知するか、という体験に近いものです。
ふだん私たちは、出会う出来事やモノを「どう理解するか」「
けれども、本当に世界は、
このように、世界に対して「どう対処するか」ではなく「なぜ、
端緒となるのはいまから100年前、こうしたまなざしを、
この「現実的存在(actual entity)」は、
つまり、すべては流れの只中にあり、関係の網の中でこそ、
ホワイトヘッドから1世紀、現代アメリカの哲学者スティーブン・
たとえば、窓から吹き込んだ風がカーテンを揺らし、

『モノたちの宇宙 思弁的実在論とは何か』スティーブン・シャヴィロ著、上野俊哉訳(河出書房新社)
認識論から存在論へ、世界から世界たちへ
このような存在論的まなざしがあらためて評価されている背景には
第一に、気候危機、AIの進展、ポストヒューマンの思想潮流、
第二に、近年文化人類学の分野で「存在論的転回(
文化人類学における「存在論的転回」は、「何が世界なのか」
この転回は、
こうした動向のなかで、
作家で元外務省主任分析官の佐藤優さんは、「
この夏「インテリジェンス編集工学講義」として開講します。
こうした態度は、世界を「意味の操作対象」
「情緒」というセンサー
では、こうした「分母の変化」や「あらわれくる声」を、
「連編記」vol.2「感:感じるという知性」では、岡潔さんの
数学者の森田真生さんは、岡潔『数学する人生』の「結 新しい時代の読者に宛てて」の中で、こう表現します。
そこに立ち現われるのが「情緒」の世界だ。
情緒とは情の局所的な様相のことである。
『数学する人生』岡潔
(「結 新しい時代の読者に宛てて」森田真生)
物語や歌や詩は、この「情緒」の表現舞台です。
それはかつての、今の、そしてこれからの情緒の喜びなのだ。
『思考の諸様態』A・N・ホワイトヘッド
世界の響きを感受する回路としての情緒が深く開かれたとき、
『春と修羅』の有名な冒頭、
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
「わたくし」は固有の主体ではなく、
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
自己が「風景やみんなといっしょに」明滅する存在として、
世界は個別の物理的実体の合成ではなく、「感じられるもの」
いま、世界を「理解し、対応するもの」として扱うのではなく、
そのために、情報や環境を、自己から切り離された対象として「
詩や物語、情緒や感受性、
それは、いまこの変動の時代を生きる私たちが、「
◆編集工学研究所からのお知らせ◆
■シリーズ講義・佐藤優のインテリジェンス編集工学講義(7/19~10/5 全5回)
7月から10月にかけて、5回に渡る佐藤優氏からの講義とディスカッション、オンラインでの課題提出と議論を掛け合わせたプログラム「インテリジェンス編集工学講義」を開催します。

元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏の「インテリジェンス」と「編集工学」を融合しながら、世界の最前線に取り組む連続講座「佐藤優のインテリジェンス編集工学講義」が開講します。
「トランプが混乱を生んだのではなく、混乱の結果、トランプが登場した」。そして、ドナルド・トランプの思考にはそのベースとなる理論があると佐藤優氏は語ります。トランプの行動原理を「資本論」「ナショナリズム」「関税論」から紐解き、書物の精読と年表の精査によって知を身体化していきます。受講/オンライン聴講のいずれかをお選びいただけます。
<講義日程>
第1回 7/19(土)初回13:30~16:30 *会場開催(編集工学研究所 ブックサロンスペース本楼)
第2回 7/25(金)朝 07:00~09:00 オンライン講義(zoom)
第3回 8/29(金)朝 07:00~09:00 オンライン講義(zoom)
第4回 9/26(金)朝 07:00~09:00 オンライン講義(zoom)
第5回 10/5(日)最終13:30~16:30 *会場開催(編集工学研究所 ブックサロンスペース本楼)
<課題図書>
以下をご購入の上、ご参加ください。(事前に読む必要はありません。)
(1) フリードリヒ・リスト『経済学の国民的体系』(岩波書店)
(2) 松岡正剛監修『情報の歴史21 増補版』(編集工学研究所)
└編集工学研究所のサイトからご購入いただくと、検索できる電子PDF版がセットで届きます。

19世紀ドイツの経済学者フリードリッヒ・リストは、トランプ米大統領が頻繁に参照している経済学者だという。今まさに私たちの足元にある「歴史的現在」を読み解くために必携の2冊を、5回の講義を通じて一気に駆け抜けます。
<受講資格>
どなたでも受講いただけます。
合わせて佐藤優さんの過去講義アーカイブもぜひチェックください。
▶イシス編集学校第55期[守]特別講義「佐藤優の編集宣言」アーカイブ映像
▶「情報の歴史21」を読む 第六回佐藤優篇アーカイブ動画
■リーダー向けリベラルアーツ・プログラム「Hyper-Editing Platform [AIDA]」(2025/10~2026/3 開催)
Hyper-Editing Platform [AIDA]は、「これから」を担うリーダーたちが集う本気の学び舎です。シーズン6となる2025年は「座と興のAIDA」をテーマに、日本文化の「場の力と創造性」を深掘りします。
現在、オンライン受講者を募集中です。(会場参加はご好評につき満席となりました。)8月1日(金)には、無料オンライン説明会も実施。ぜひご参加ください。

▼(動画)【AIDA】佐藤優×安藤昭子特別対談:AIDAとは何か?
Hyper-Editing Platform [AIDA]についてのお問い合わせは[AIDA]サイトのTOPページ「お問い合わせフォーム」からご連絡ください。