Season 4   第4講

「脳科学×ブッダ」から見えて来たもの

2024.1.13

浅野孝雄さんは、脳外科医として「脳という物質」に向き合いながら、一方で、米国脳科学者のウォルター・フリーマンの理論とブッダの思想を繋げ合わせ、「心の正体」を解き明かそうとしている。

4講では、そんな浅野さんをゲスト講師に迎え、「プロセス」をキーワードに、ボードメンバー、座衆(受講生)と交わしあいながら、「意識と情報のAIDA」を考える。

浅野孝雄(あさの・たかお)
埼玉医大名誉教授(脳神経外科)、中村元東方学院講師

1943年北海道生まれ。脳外科医。東京大学医学部卒業後、東大病院脳神経外科入局。国内関連病院および米国コネチカット州ハートフォード病院、スイス・チューリヒ州立病院などを経て、埼玉医科大学総合医療センター脳神経外科教授。現在、埼玉医科大学名誉教授、中村元東方学院講師。脳血管障害の病態生理学と治療法の研究により、東京都医師会医学賞、美原賞を受賞。著書に『「心の発見」ブッダの世界観』『古代インド仏教と現代脳科学における心の発見』(共に産業図書)など。

私たちは「情報」に囚われている

浅野さんは講義冒頭、「情報という言葉にがんじがらめになっているのではないか」と座衆に投げかけた。「inform」とは、外からの刺激・知識を中に入れ身体化することだ。これが「本来の情報のありかた」だと浅野さんはいう。だが認知科学的な意味での「情報」は、デジタル信号の羅列に過ぎない。

「情報という言葉から自由にならなければ、ブッダもフリーマンも理解できません」(浅野さん)

思い返せば、松岡正剛座長は第1講で、宇宙まで遡って「情報」の始原を問うた。松岡座長いわく、私たちの生命、社会を貫通してきたのは、「情報のプロセスである」。

浅野さんが今回の講義で中心に据えたのもまた、この「プロセス」だった。これまでの認知科学の「実体の存在論」に対し、浅野さんは「プロセスの存在論」に立脚する。これを理論化したのがフリーマンであり、「プロセスの存在論」の元祖がブッダなのだと浅野さんはいう。

浅野さんが「実体の存在論」の例として取り上げたのは、長嶋茂雄氏の引退スピーチ「我が巨人軍は永久に不滅です」だ。巨人軍という実体が未来永劫、存在し続けるとするのが「実体の存在論」である。もちろん不滅なわけがない。一方で、永遠の存在を否定し、世界を変化し続けるプロセスとして捉えるのが「プロセスの存在論」だ。

ボードメンバーの吉川浩満さんからは、「私たちは、言葉やモノといった静的な実体から世界を捉えている。科学が、プロセスの存在論へと向かう中で、私たちはどう実体と付き合えばいいのか」という問いが飛びだしたが、浅野さんは、実際の現象と精神的・哲学的問題の境界を曖昧にすべきではない、と返した。第3講でいえば、オンティッシュ(存在そのもの)とオントロギッシュ(存在論的)を混同してはいけない、ということだ。

宇宙に目を転じれば、約138億年前に生じたビッグバン以来、宇宙は絶え間なく変化を続けている。その変化のすべてがプロセスであり、人も心もまた、「プロセス」に過ぎない。

大域的アトラクターでないと「あれ」は掴めない

 「今日、いちばん大事なのは、あれです」。
講義のまとめとして、松岡座長が発した言葉だ。

“あれとは、浅野さんの講義の中で、米国心理学者ウィリアム・ジェームズの「純粋経験」として登場した言葉だ。浅野さんはここに、フリーマンの意識理論を重ねた。

「ジェームズの純粋経験という言葉は、未だ言語化されていないあれ、フリーマンのいう気づきの母胎である大域的アトラクターに対応します」(浅野さん)

全身から入る情報は電気信号として脳の中を駆け巡り、この時、それぞれの神経細胞がお互いに電気信号を受け渡し、作用し合う。この時、脳全体を巻き込む大きな流れが生じるのだが、これを「大域的アトラクター」と呼ぶ。「大域的アトラクター」とは「気づき」の本体なのだ。そして「気づき」の断続的な連鎖が「意識」となる。

「気づき」は、人間の知識・文化の総体を形成していく。これを整理し体系化するところに、松岡座長の唱える「編集工学」の出番がある、というのが浅野さんの見立てだ。

言い換えれば、あれは大域的アトラクターでないと掴めない。

この時、大域的アトラクターの活動(カオス的遍歴)は言葉へと変換され、記憶に蓄えられる。脳は自動編集し、物語回路としてアーカイブされるのだ。ところが言葉による思考と動的な大域的アトラクターのプロセスとの間には、常に「ずれ」が生じる。12秒、知覚が遅れるのだ。行動が知覚に先行するのが、私たち人間なのだ。

12秒のズレによって脳に記憶された物語を、紅茶にひたしたマドレーヌの香りによって想起しようとしたのが、プルーストです」(松岡座長)

脳や意識は、「プロセス」以外で説明できないことをフリーマンは証明した。フリーマンに出会った浅野さんは、こうした考え方が今まで他にあったかと探した。その結果、たどり着いたのが、ブッダの思想の根幹である三法印(諸行無常・諸法無我・一切皆(行)苦)や五蘊(心と体の構成要素)だった。

浅野さんは、20世紀の脳科学者フリーマンと、約2500年前のブッダを結びつけるという、ダイナミックな編集をやってのけたのである。

  

自由とは「自らに由る」こと

三法印の中で、浅野さんが特に注目したのが「諸行無常」だ。「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」と『平家物語』冒頭でも登場するこの言葉は、私たち日本人は感覚として持っている。

「ブッダは生じては滅し、生じては滅するという言葉を残しています。ブッダの説く諸行無常とは、すべての実体は虚妄であり、プロセスのみが存在するとするブッダの世界観の断固たる表明です」(浅野さん)

ブッダの思想「諸行無常」というフレームを通すと、地球上のあらゆる生命も、人間も、熱力学第2法則(エントロピー増大の法則)によるエネルギーの流れを介して、生成と消滅を繰り返すプロセスということが見えてくるではないか。

過去・現在・未来の因果関係を説いたのが、仏教の「十二縁起(因縁)」だが、浅野さんはこの十二縁起をフリーマンの意識理論「行動-知覚サイクル」と重ねる。ニューロン集団の活動が循環的に作用するのが、この「行動-知覚サイクル」だが、十二縁起はこれと対応関係にある循環モデルであると浅野さんは確信したのだ。

脳は目的を持たず情報を収集し、物語回路に蓄積する。

十二縁起の循環モデルでは必ず、過去において形成された記憶・思考のすべてが一旦「無化」される瞬間が訪れる。「混沌=無明」だ。これは記憶が脳から消去されるのではなく、活動が抑制(非在化)されるのだ。

この時、発現する志向性が蓄積された経験や記憶と結びつき新たな創発を起こす(プルーストがマドレーヌでやったように)。

自らの身体と心(身心)から発現する――これを浅野さんは「自らに由る」と言い換えた。そう「自由」だ。

「循環モデルの無明を介して、人間は過去の自分を捨てて、いつでも新たに生まれ変わることができる」(浅野さん)

ブッダの悟りが、「行動-知覚サイクル」として蘇った。

講義後、座衆の多くから、「自分の認識が卓袱台返しにあった」という声が漏れたことが、この日の講義の衝撃を物語る。

松岡座長は浅野さんの講義を受け、次の言葉で締め括った。

21世紀の方法は、仏教など東洋的なものの中にある」

次回は、松岡正剛座長が「日本一のアーティスト」と断言する森村泰昌さんを迎える。美術史上の名画やマリリンモンローなどの有名人に扮装する「自画像的」な写真作品で知られる美術家だ。

取材・執筆:角山祥道
編集:仁禮洋子・橋本英人
監修:安藤昭子
撮影:小山貢弘

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