Season 4   第3講

ベイトソンから見る「意識と情報」

2023.12.9-10

Hyper-Editing Platform[AIDA]恒例の1泊2日の合宿。Season4の合宿地に選ばれたのは、座長・松岡正剛が青春期を過ごした横浜だ。

合宿ではアメリカ合衆国の人類学者・社会科学者であるグレゴリー・ベイトソンの世界観に分け入る。ベイトソンは情報理論の先駆者でもあり、「情報とは、差異を生む差異である(a difference which makes a difference)」という「情報の本質」に迫る定義を残した人物でもある。

迎えたゲストは、米文学者にしてベイトソンの翻訳者としても知られる佐藤良明さんと、学生時代にベイトソンを読み世界の認識が変容したというメディアアーティストの落合陽一さんだ。2人の見方に肖りながら「意識と情報のAIDA」を2日かけて深めていく。

参考:松岡正剛の千夜千冊 446夜 グレゴリー・ベイトソン「精神の生態学」

落合陽一(おちあい・よういち)

メディアアーティスト。1987 年生まれ、2010 年ごろより作家活動を始める。境界領域における物化や変換、質量への憧憬をモチーフに作品を展開。筑波大学准教授、デジタルハリウッド大学特任教授。2025 年日本国際博覧会(大阪・関西万博)テーマ事業プロデューサー。
近年の展示として「おさなごころを、きみに(東京都現代美術館 2020)」、「北九州未来創造芸術祭ART for SDGs(北九州 2021)」、「Ars Electronica(オーストリア 2021)」、「Study:大阪関西国際芸術祭(大阪 2022)」、「遍在する身体,交錯する時空間(日下部民藝館 2022)」など多数。また「落合陽一×日本フィルプロジェクト」の演出など、さまざまな分野とのコラボレーションも手かげる。

佐藤良明(さとう・よしあき)

1950年山梨県生まれ、群馬県高崎市育ち。フリーランス研究者。東京大学名誉教授。専門はアメリカ文化・ポピュラー音楽・英語教育。トマス・ピンチョン研究でデビューし、1980年代に人類学者グレゴリー・ベイトソンの研究や翻訳を軸とした評論活動を行う。
代表的著書に『ラバーソウルの弾みかた』。訳書にグレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』、ボブ・ディラン『The Lyrics』(全 2 巻)など。〈トマス・ピンチョン全小説〉では 7 作品の翻訳に関わっている。2023年、岩波文庫から『精神の生態学』の新訳版『精神の生態学へ』(上・中・下巻)を刊行。

横浜合宿Day1 私たちの「意識」の来し方・行く末

合宿は、横浜の港から始まった。ゲストの佐藤良明さんと落合陽一さん、座衆とAIDAボードの佐藤優さん、そして松岡座長とスタッフの総勢75名の一行は、貸し切りのシーバスZEROに乗り込み、湾に出た。海原越しに目まぐるしく変わる横浜の街を背景に、船内では、事前課題の千夜千冊エディション『編集力』の図解セッションが、高速に展開された。

最初の会場は帝蚕倉庫の一棟を復元したBankART KAIKO。松岡座長の導入メッセージにはじまり、落合さん・佐藤さんそれぞれのソロセッションが行われた。

松岡座長は、合宿で考えたいキーワードの一つとして「オントロジー」を挙げた。

ルネサンス後期からバロック(16世紀末~18世紀)の時期に、自然界をそのまま見るのではなく、レンズ、望遠鏡、顕微鏡などの「機械」を通して世界を理解することが始まった。「自らの感性や理性をもってオンティッシュ(存在的)に直接の観察や推論を行うのではなく、あいだに何かを”介在”させたり置いたりしてオントロギッシュ(存在論的)に世界を見るという認識の仕方が“オントロジー(存在学、ontology)”です。では、今身につけているネクタイや眼鏡やスニーカーは、なにを”介在”しているのか? 顕微鏡などの機械とはどう違うのか? 言語はどうか? 生成AIやコンピュータは何を媒介しているのか?」。

佐藤良明さんから案内されるベイトソンや、落合陽一さんの研究や表現を通して、世界を存在論的(オントロギッシュ、ontologisch)に捉え直すとどうなるか。二日間の思索に向けてのヒントが手渡された。

 

落合陽一「人間はコンピュータか?」

 

「人間はコンピューター(計算機)である、とみなさんは思いますか?」と、落合さんは座衆に問いを投げかけた。人間は猿から進化したと思っているように、100年後はほとんどの人が人間はコンピュータだと思っているはず、と落合さんは明言する。デジタルと自然、人間とコンピュータ、その間にある関係性を、ずっと考え続けているのが落合さんの活動だという。落合さんによれば、生成AIとコンピュータ上のニューラルネットワークを駆使すれば、あらゆる現象やものを、解析的に数式を用いずともベクトル変換して微分することで表現できる。これが、「微分(計算)可能オントロジー」だ。

戒名や鳥の声や蒔絵などのこの世界に存在するものを、手元のコンピュータを駆使しながら次々とベクトル変換し、自然と計算機の往来の様を高速にプレゼンテーションする。「在るとは何か」を考えていく哲学としてのオントロジー(存在論)が、概念同士の関係性を記述するものとしての情報科学におけるオントロジーとして、落合さんの手元で具現化されていく。

佐藤良明「ベイトソンが認識していた世界とは」

佐藤良明さんは、ベイトソンが世界をどう見ていたかを詳述した。最後に取り上げたのは、「学習(主体の変化)の論理階型」(学習3段階)だ。ベイトソンは学習の中には、レベルの違う学習が同時並行的に進んでいると見た。

  • 「ゼロ学習」は、単なる情報の獲得。コンピュータの「学習」は、みずからのプログラムを書き換えるものでない限り、このレベルを出ない。
  • 「学習Ⅰ」では、刺激に対して反応が固定化する。「パブロフの犬」で知られる条件反射も、実験室のネズミや社会における人間の行動の習得もこれに含まれる。
  • 「学習Ⅱ」は、「学習I」についてのメタ学習。「慣れ」によって習得が容易になるのはその例。これは通常意識されない、性格(自分のあり様)をつくる変化である。
  • 「学習Ⅲ」は「学習Ⅱ」の過程に関与するメタ学習。例えば身についた習慣から離れるすべを得る。(禅の修行が目指すように)自己への執着をなくす。
  • 佐藤さんは「ビッグデータとつながったAIには、学習I以上のレベルをシミュレートすることが可能ではないか、そしてもし、自然と技術の融合が「デジタル・ネイチャー」を生み出すのであれば、そのような「自然」における学習的変化がどんな理論にまとめ直されるのか、大いに関心を呼ぶ」と締めくくった。

 

 

すっかり日も暮れて、一同はホテルニューグランドへ。マッカーサー元帥にイギリス王族、チャーリー・チャップリンやベーブ・ルースも宿泊した1927年開業の歴史あるホテルだ。横浜・山下公園を臨む「フェニックスルーム」に場を移して、松岡座長、ゲスト、ボードメンバー、座衆による初日最後のセッションが行われた。

 

最初の話題は佐藤さんのセッションで話されたベイトソンの学習理論について。松岡座長は自身もこの理論に大いに影響を受けたそうだ。「学習Ⅰ、Ⅱ、Ⅲとレイヤーがあがっていくには、他者との相互やりとりが必要になるだろう。学習Ⅲは、クラス替えがおこったり、先生が変わるなど、外部から異質が入り込み、それが新たなシステムに相補的にはたらくことで“創発”を生む」(松岡)。

 

松岡座長は落合さんに問う。「人間はコンピュータか? という重要な問いを持ち出してくれたが、生物史的な進化の中で人間がコンピュータに到達するだろうと考えているのか?」

現在の生成AIは、大量なテキストデータのディープラーニングによって自然言語を生成する大規模言語モデル(LLM)で成り立っている。ディープラーニングが出てきたころは、ミツバチ程度の学習量だったが、昨年になって1秒間に<10の23乗>というカラス並の学習量にまで到達した。このあたりから、「推論」が可能になって問題を解き始める。ただ、なぜそうなるのかは、研究者もわかっていないという。

「生物的な進化というよりは、情報を体系立てるような構造が、ニューラルネットワークの組み合わせと多量のデータの学習の間にあると考えられる。それによって推論が進む、何らかのメタなシステムがあるんじゃないか」(落合さん)。

 

ボードメンバーの佐藤優さんは神学者としての立場から、生成AIをめぐる昨今の状況に「信仰の問題」を見る。「この戦争の時代において、AIはどんな力を持ちうるのか。戦争を促進する、もしくは阻止する場面においてどこまでの役割を担うものか。」国家の権力や人間の生存といった領域において、AIがどこまで切り結んでいけるかということを問うた。

横浜合宿Day2 タコと冷戦とニューラルネットワーク

 合宿2日目は、実物大(全高18m)の“動くガンダム”で知られる、山下埠頭の「ガンダムファクトリー」から始まった。

最初の講義は、ガンダム好きを公言する落合さんだ。落合さんは、本施設のアドバイザーの一人であり、ガンプラのランナー(ガンダムプラモデルの枠)を使って2畳サイズ茶室「可塑庵(ぷらあん)」を製作している。

 

落合陽一「自然は計算機的に分解可能だ」

落合さんは自身のアート作品を高速で紹介していく。そのうちのひとつが、荘子の「胡蝶の夢」だ。

ある時、蝶として飛び回る夢を見た荘子は、自分が胡蝶になる夢を見ていたのか、それとも今の自分が胡蝶が見ている夢なのか、と考える。自分と胡蝶には必ず区別があるはずである。「万物の変化とはこういうことをいうのである」と荘子は言う。

落合さんは、この最後の一文に飛躍があると指摘する。なぜ自分と蝶の区別があることが物化(万物の変化)なのか、説明がつかない。

「では、これは微分できるのか?」。この視点が、落合さんのアプローチだ。落合さんは「胡蝶の夢」を微分した映像作品をつくる。蝶→モノ→老人→モノ→蝶……と高速に展開させることで、「物化する計算機自然」を可視化していく。「物化する計算機自然」とどう向き合うか。ここに落合さんのアーティストとしての挑戦があった。

【落合陽一公式YouTube】自然と風景と計算機,あの夏のメディアアート

落合さんは2016年の茨城県北芸術祭でも「胡蝶の夢」をテーマに作品を制作した。機械を介して自然を見る、落合さんのオントギッシュなアプローチだ。

横浜港から倉庫跡、老舗ホテル、ガンダム……。横浜合宿は場所を移しながら、交わし合いを深めていく。最後は、佐藤良明さんのベイトソン講義と、ボードメンバーを交えた最終討議だ。

 

 

佐藤良明「ベイトソンは生物と社会を繋げた」

 

佐藤良明さんいわく、ベイトソンの特異性は世界のあらゆるものを「つながり合うパターン」として比較した点にある。「類似と相似」からものごとの関係性を見出すという方法は、文化人類学のフィールドワークから得たものであったと佐藤さんは指摘する。

例えばニューギニアの民族研究において、ベイトソンは現地の社会のあり方が「何に似ているか」をまず考えた。そこで選んだ対象は、ミミズとクラゲ。上下関係のヒエラルキーがあるなら、ミミズの体節分化と同様、上の形状に従って下の形が決まる。外側からの規制がなければ、クラゲのような放射状体節になっているはずだとベイトソンはイメージした。

さらに、タコの闘いと冷戦下のキューバ危機におけるコミュニケーションに相似を指摘したり、植物の成長と英文法の生成パターンに類似を見出したり、「似ている」を徹底的に追いかける。

「ベイトソンは生物の例に倣って社会をアブダクションした」。ものごとの形態に基づいて、それを生み出す情報のプロセスに注目したのがベイトソンの特質なのだ。

 

2日目から参加したボードメンバーの田中優子さんも加え、全員で交わし合う最後のAIDAセッションが始まる。

松岡座長は「意識と情報のAIDA」の転換点にあたる合宿で、なぜベイトソンを取り上げたのかを改めて述べた。「21世紀は量子力学・相対性理論・不完全性定理でガラっと変わった時代だ。だがこれらも“情報”という視点から出てきたものではない」。「情報」が「編集」されることを通して、文化もコンピュータも価値観も変遷していく。そこを改めて捉え直すために、情報理論の先駆者でもあったベイトソンに肖ったのだ。

「プラトン以降の美・理念・正義といった思想からつくられた社会通念ではなく、ベイトソンのようにタコ・イルカ・草花や、お母さんの喋り方のようなものから、“真理”を語ることが必要だとずっと思ってきた。ベントソンは科学の中で、ダーウィン的な考え方に抵抗して、これに挑んだ」。フラグメンタルな“部分”から大きな情報の世界に踏み入れた先達が、ベイトソンなのだ。

最後に松岡座長は「人類や文明は何かの意味や価値を肩代わりするもの、いわば”トークン”をつくってきた。」と切り出した。

「最大の交換可能なトークンが、“数”であり“通貨”である。この2つは、価値を生む存在だが、同時にその存在の仕方は極めて怪しい。怪しいけれど、私たちはそこから逃れるわけにはいかない。計算する知性としての数と、値段のついた価値や収奪や生産とも言える通貨が、今後は加速度をまして混ざっていくはずだ」。

「そもそも“数”や“通貨”は、何の“代わり”であったのかを考えて欲しい。神か、心か、安寧な日々なのか。企業は売り上げを追求し、“代わり”であったはずの数と通貨が、それ自体として圧倒的な力を持つようになっている。しかしここまで“代わり”が強いと、必ず別のリスクが出てくる。そのことを、少し考えてみてほしい」。

次回は、脳外科医にして仏教学者という唯一無二の存在、浅野孝雄さんをお迎えして、ブッダの哲学とウォルター・フリーマンらによる最新意識研究とのあいだから「意識と情報のAIDA」に迫る。

取材・執筆:角山祥道
構成・編集:仁禮洋子・橋本英人
監修:安藤昭子
撮影:小山貢弘

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