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「うら」と「おく」

「奥渋谷」なる地域が密かな人気らしい。東急本店から代々木公園に向かうあたりで、ちょっと雰囲気のいいカフェやギャラリーや雑貨店が集まってきている。90年代に流行った「裏原宿」が「ウラハラ」と呼ばれたように、こちらは「オクシブ」と呼ばれる。賑やかなメインストリームから少しズレていたいというセンスを持った若者たちが、大人によって巧妙に設えられ名付けられたウラやオクに流れていく。

 

奥渋谷/オクシブ

 

 この「ウラ」とか「オク」とかいうコンセプトが持つ、懐かしく新しい、ちょっと特別な感じは、なんだろう。フランスの地理学者であり日本文化の研究者であるオギュスタン・ベルクは、日本の建築物や空間観念の特徴のひとつとしてこの「おく」をあげている。奥へ奥へと伸びる旅館の廊下、一度に全体を見せず奥を感じさせるように配された庭園、茶室に通じる曲がった露地など。限られた土地の中に深さ=奥行きを創ることによって、遠い世界に分け入る感覚を与えようとしたのだろうという。

 

 

◎日本の奥にある「おく」の感覚

 

 言われてみればこの「おく」の感覚は、少年少女にとってもいつでもちょっとだけ特別だったように思う。物理的に遠く離れた奥ではなく、ほんの少し向こうの奥なのだけど、それがうっすらと怖くて、無性に行ってみたい場所になる。物置代わりの奥の間は格別の秘密基地だし、夕鶴の部屋は禁じられるほどに覗きたい。「奥手」と言われると恥ずかしいけど、「奥の手」を出すときは誇らしい。禁止、恥じらい、憧れ、好奇心。思えば「おく」に大事なものがたくさん入っていた。

 

 建築家の槇文彦は、この感覚を「奥性」と呼ぶ。単に狭い土地で生きていくための工夫、という意味だけではないらしい。空間が限られているがために、空間への感覚が細やかになり、遠近の差を相対的に設定するというデリケートな感覚が早くから芽生えたのだそうだ。

 

“日本の文化は照葉樹林に覆われた山の中に奥性を見出し、その奥に至る経路を儀式化する形で鳥居が生まれ、奥そのものの象徴として床の間を創造した。”

『見えがくれする都市』槇文彦

 

 『見えがくれする都市』で、槇はこの日本人の空間感覚から美意識にいたるまでの「奥の思想」を紐解いている。江戸から東京へと400年の都市の形態の変貌を追う作業の中で、槇等が発見したジャパン・コンセプトだ。

 

 

◎人間がつくる「中心」と土地に与えられた「奥性」

 

 西欧の都市では、全体は常に部分を支配している。部分が強調されるときは、全体に対する積極的な反乱という強い意図がある。日本の都市がつくられる過程をみていくと、西欧的な全体と部分の関係は極めて希薄で、むしろ「部分は全体でもある」という認識が色濃く見られる。

 僅かな小空間の中にも自立した宇宙を見るということに、美しさも面白さも見出してきた日本では、部分はいつでも全体を覆うことができるのだ。その小宇宙をつくりだす過程の中で、「奥性」が担った役割は大きい。そこに「奥」があることで、小宇宙が成立するのだ。 

 

 そもそもなぜ、このような「奥の思想」ともいうべきものが古くから日本の文化の中に育まれてきたのか? ここで槇は、日本人と土地と神さまの関係を持ち出す。弥生時代に稲作が盛んになり定住するようになると、人が住む里と特別の場としての山が、その役割を分けていった。人の日常の行動圏に入らない山は、次第に神聖化され、禁足地となり、神さまの住むところとなっていった。

 山の街道筋に沿って広がっていく集落に対して、直角の方向に山裾の神社から山奥の奥宮へと信仰の対象が配置される。宗教性を方向というかたちで示す空間感覚が「おく」なのだ。

 

 西洋の「中心」が人間によって構築されたものだとすれば、日本の「おく」は本来土地そのものに与えられた原点とも言える。それが庭にも住居にも「奥性」として反映されている。
 語源を見ていくと、「おく(奥)」はまた「おき(沖)」でもある。山は神々の隠れ家だが、柳田国男も言うようにその神々は海からやってきた。「おく」は神々の出ずるところであり、住むところでもあるのだ。だからといって、距離が必要なわけではない。仕掛けや手続きや形式とともに、日本人は「おく」をつくりだすことに長けてきた。寺社の参道は、鳥居、狛犬、注連縄、紙垂などによって次々と結界がはられ、聖域までの奥行きを丹念に重ねていく。

 

 西欧の教会が天高く塔をそびえさせる「見える中心」であるのに対して、日本の神社は鎮守の森に覆われた「見えない奥」として守られてきた。
 空間でいうなら、奥所、奥社、奥山、奥座敷など。見えない感覚ならば、奥伝、奥義、奥の手、奥の院、奥方、大奥。日常をあずかる台所の主は「奥さん」である。

 

 

◎「おもて」「うら」「ハレ」「ケ」「おく」

 

 「おもて」の反対にある「うら」もまた、物事の隠された側であり規格からはずれた側面を指すが、日本人にとっては大切な意味を持つ。「おもて」は明るい表面であり、「うら」は負を抱える側面であるとともに俗人のあずかり知らぬ事柄の真相でもありうる。
 たとえば「内裏(だいり)」は、天皇のプライベートな区域で、御所(ごしょ)、禁裏(きんり)、大内(おおうち)などとも呼ばれる。内側の裏とは不思議な言いっぷりだが、なにかとても大切な場所であるという気配をにじませている。
 この「うら」は「おく」とからみあい、もうひとつの対立項である「ハレ」と「ケ」と重なる。「おもて」「うら」「ハレ」「ケ」「おく」の組み合わせによって、日本の空間文化は出来上がってきたのだ。
 

 地形が文化をつくり、文化はまた地形に意味をあたえていく。『日本の景観ーふるさとの原型』で樋口忠彦は、「谷の景観」をさしてこういう。“奥へ奥へと誘うこの行き止まりのある谷は、なにか奥に隠されているというイメージを人に想い抱かせる景観でもある。谷の奥は、日本人にとって特別な意味を持っていたようである。”
 どう特別だったのか? 谷は、水の音を慕いつつ遡れば、その奥に安住の地があるのではないかと思わせるものだった。同時に、谷はこの世からあの世に至る通路の性格をもち、谷の奥は、彼岸と此岸のふたつの世界の境目と考えられていたらしい。

 

 
 冒頭の「オクシブ」の話に戻ると、渋谷という地名からもわかるように、渋谷は「谷」である。谷ということは、川がある。そして、ウラハラは渋谷川沿いに、オクシブは宇田川沿いに伸びている。
 まさか彼岸と此岸の境目を感じたくてウラハラやオクシブに人が流れるわけではなかろうが、その奥に長い時間の経過を感じてみれば、どこかひとつながりの物語が見えてくるから面白い。
 
 

 「うら」や「おく」というほのかな場所感覚にすら、1000年にわたって持ち継がれる文化のコードや物語のモードが潜んでいる。おしゃれなカフェや雑貨店が、この場所得たりと居を構える「うら」や「おく」は、おおもとは神さまの通る道であり、隠された未知であり、神聖でかつカジュアルな「ケ」の空間として、日本人の生活感覚や心象風景を刻んできた空間でもあった。そう思ってオクシブのお店を眺めてみると、なにやらしたたかなカルチャーの力を感じるのだ。
 

SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS

SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS 通称「SPBS」。お店の奥のガラス張りのそのまた「奥」はオフィスになっていて、編集部という本の「裏方」仕事が行われている。

 


 

 

『空間の日本文化』オギュスタン・ベルク著(ちくま文芸文庫:1994年/単行本は1985年)

 

 

オギュスタン・ベルクは、和辻哲郎の『風土』にショックを受け、日本的空間文化に魅了された地理学者である。父は社会学者で東洋学者のジャック・ベルク。東洋文化の研究を進めながら「風土学(mesologie)」という学問領域を切り開き、近代西欧の人間中心主義的な価値観を克服するための「自然と人間の共生」について、人間と環境の関わり合いを「通態性」という概念で捉えなおすなど、独自の提言を行っている。

 『空間と日本文化』は、ベルクが日仏会館フランス学長の職についた1985年に執筆されたもので、オギュスタン・ベルクが最初に日本について論じた本。本書は、「空間」を領域として捉えず、主体と客体の関係性として定義する。精神的空間組織(例えば自我と環境との関係)、物理的空間組織(例えば都市と農村の関係)、社会的空間組織(例えば集団と集団との関係)の3つの側面から、日本特有の「空間性=関係性」を考察する本書は、透徹した日本文化論であると同時に、ばらばらに論じられてきた諸問題を「空間性」という概念で縦横無尽に繋いで見せる社会科学の書でもある。

 


 

『見えがくれする都市―江戸から東京へ』槇文彦著(SD選書-鹿島出版社:1980年)

 

青山の「スパイラル」や代官山の「ヒルサイドテラス」や「幕張メッセ」等の設計で知られる建築家の槇文彦が、槇総合計画事務所のメンバーと共同で執筆した日本都市文化論。槇は、東京大学の建築学科を出た後、丹下健三の元に学び、ハーバード大学で都市デザインを研究した。数々の作品で知られるが、2001年の同時多発テロで崩壊した世界貿易センタービルの跡地に建てられた最初の高層ビル「4WTC」が記憶に新しい。

 本書は、東レ科学振興会の助成プロジェクトとして行われた都市環境の研究レポートをもとにした本で、人間集団の深層意識が都市の形態にどのようにあらわれてきたかを読み取ろうとしている。

 表層に見えがくれしている日本の都市形態の背後に存在する深層構造とでもいうべきものをさぐり出す過程で著者が見つけたものが、「奥性」「奥の思想」だった。

 


 

日本の景観

『日本の景観―ふるさとの原型』槇文彦著 (ちくま学芸文庫:1993年/単行本は1981年)

 

人間にはふたつの種類の風景があるという。ひとつは眼前の現実の風景で、もうひとつは心の中の風景だ。その心の中の風景に目を注ぎながら、現前の現実の風景において生き生きとした都市像につながる好ましい風景をどのように生み出すことができるのか、いわば風景の成長を目指す新しい学問「景観工学」を、著者である樋口忠彦は提唱する。

 本書は、日本の景観を「盆地」「谷」「山の辺」「平地」などに分類しながら、さらに「八葉睡蓮型景観」や「水分神社型景観」や「国見山型景観」といった原型性にさかのぼって、風景が包含する精神的・空間的な特性を考察している。引用される観点は、建築工学から文学・芸術まで幅広い。サントリー学芸賞受賞。