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2007年08月30日
News 山口小夜子さんを送る夜
8月14日、山口小夜子さんが急逝されました。30年以上にわたって小夜子さんと親交を重ねてきたセイゴオはいまもそのショックから立ち直ることができずにいるようです。
このたび、同じように小夜子さんの死を悲しみ、つきせぬ思い出を語り合ってきた友人たちとともに、「山口小夜子さんを送る夜」を開くことになりました。
セイゴオのたっての願いで、当「セイゴオちゃんねる」をご覧の皆様に、そのご案内をいたします。
下記の文面はセイゴオによるものです。
また、ご案内のあとに2000年に「アサヒグラフ―山口小夜子特集」のためにセイゴオが寄稿した「キリンを着て黒海を舞う人」を掲載させていただきます。小夜子さんが「自分のことを誰よりも的確に表現してくれた」と言って、とても喜んでくださった文章でした。2006年7月25日の「連塾絆走祭―数寄になった人」で小夜子さんが披露された「陰影礼讃」朗読パフォーマンスの写真とあわせてご覧くださいませ。
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山口小夜子さんを送る夜
さる8月14日、山口小夜子さんがまるで盂蘭盆にあわせるかのように、
ふいに月界に帰っていかれました。
もう二度と逢えなくなってしまったのかと思うと、
切なくてしかたありませんが、
せめてみんなで小夜子さんを送る一夜を催したいと思います。
生前の小夜子さんが今年の春、「ここの庭で踊ってみたい」と言っていた
築地本願寺の夕暮れに、お出掛けください。
静かな読経と小夜子さんの声と、
とても不思議なパフォーマンス映像が流れるなか、
僅かなひとときではありますが、
「この世で一番美しかった小夜子」の思い出に耽っていただけたらと思います。
この夜は小夜子さんの誕生日です。
日時 2007年9月19日 夕刻6時〜8時
場所 築地本願寺本堂
友人代表
藤本晴美 三宅一生 松岡正剛 重延浩 天児牛大
大出一博 鈴木清順 福原義春 今栄美智子 高田賢三
LUNEX
オフィスマイティー(代表 近藤女公美)
〒106-0045 東京都港区麻布十番1-10-3-403
TEL 03-3584-6388 FAX 03-3584-4033
どなたとご一緒に来ていただいても結構ですが、
皆様には一輪ずつの献花をしていただきますので、
供花・花輪などはご遠慮ください。
*会場案内
築地本願寺 ⇒ http://www.tsukijihongwanji.jp/tsukiji/map.html
東京都中央区築地3−15−1
東京メトロ日比谷線築地駅下車徒歩1分
都営地下鉄浅草線東銀座駅下車徒歩5分
東京メトロ有楽町線新富町駅下車徒歩5分
都営地下鉄大江戸線築地市場駅下車徒歩5分
お車でのご来場は台数に限りがございますのでご遠慮ください
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アサヒグラフ(2000年9月29日号)所収
キリンを着て黒海を舞う人 by 松岡正剛
小夜子に仏壇のデザインを頼んだことがある。まず打診だけしてみようとおもって電話をしたら、「お仏壇? わあ、すてき。つくってみたい」と言うので、そのまま任せた。
やがて細身で楕円の仏壇のスケッチができあがってきた。モノセクシャルな、楚々とした仏壇である。コバルトブルーに包まれている。ぼくはマインドギアという名前をつけた。
いったい山口小夜子について何を知っているのだろうか。あらためて綴ろうとすると、とくに何も尋ねてこなかったということに気がつく。
むろん聞いてみたいことはある。たくさんあるといっていい。とくに「小夜子の日本」を聞いてみたい。ところが会っていると、それで十分な気がしてしまう。そこに小夜子がいれば、それで山口小夜子のすべてなのである。風のことは風に、キリンのことはキリンに、記憶は記憶に、松のことは松に習え(芭蕉)なのである。
目の前にいるキリンにキリンのことを聞くことははい。ぼくと小夜子の間では、二十年近くそんなふうに時間がすぎてきた。小夜子はそういう人である。
小夜子に会ったとき、彼女はすでに世界のトップモデルになっていた。ファッション業界に暗いぼくも、イーマン・アブラドジッドと山口小夜子だけには注目していた。だからファッションショーのステージも何度か見ていたし、寺山修二や重延浩の演出の舞台も見ていた。
けれども、会ったのは話したかったからではなかった。当時、ぼくが編集していた『遊』の表紙に出てもらいたかったからだ。撮られる山口小夜子を見たかったからである。三時間近くにわたって彼女は何も喋らず舞いつづけた。シャッターが小鼓で、ストロボが横笛だった。小夜子はそのときすでにダンサーというよりも、舞の人だった。
それから何度か対談をすることになった。一度きりだが、デートもした。このときはちょっと注文を出していた。「高野山を着てほしい」という注文だ。
これは、その前に会ったときに「私、何でも着たい、何でも着られるようにしたいの」と言うので、じゃあ鯨は着られるの、ジョージア・オキーフは着られるのと聞いたところ、うん、着られるという。そこで「高野山は?」と聞いてみたら、「むずかしいけど着られるとおもう」と言った。それで高野山を着ることになったらデートをしよう、ということになったのである。
当日、われわれは美術館で待ち合わせたのだが、向こうからやってきた小夜子を見て驚いた。なんと袈裟を自由に組み合せたブーツの人が颯爽と歩いている。袈裟の前後左右を変えて、あの金襴と斜めの裁断を魔法のように制御して、みごとに山口小夜子になっていた。街の一角は高野山と化していた。
もうひとつ思い出がある。桜の季節の午後に公開対談をしたことがあって、このときの衣装には涙が出そうになった。
小夜子は人前で対談することは好まない。緊張するらしい。だから人前での対談はしない方針になっている。そのタブーを破ってもらい、この日は初めて公開対談を承諾してもらった。そういう事情もあったので、前もって「何を着てくるの?」と電話で聞いた。そうしたら「セイゴオさんは、着物がいい?それとも洋服がいい?」と逆に聞かれてしまった。「うーん、どっちもいいよねえ」とまことに曖昧な返事をした。これなら電話などしないほうがよかったのである。ぼくに小夜子の衣装を打ち合わせる能力なんてなかったのだ。小夜子を迷わせてわるいことをしたと思いつつ、当日を待った。
小夜子が着てきたのは絶品だった。前から見ると桜の精をおもわせる薄いピンクのロングドレスのようなのに、後ろから見ると黒紋付のような着物の感覚になっている。なにかビロードのケープのようなものを羽織っているはずなのだが、それを抜き襟めいて着付けていて、いわば「前後の片身替わり」ともいうべき風情、まさに道成寺の風情なのである。その和洋伯仲の感覚が、小夜子のわずかな身の捩れで落花狼藉となる。ぼくは急激に熱いものがこみあげて、対談がおぼつかないほどだった。
いったい山口小夜子ほど「着る」ことに徹底した人も珍しい。おまけに彼女が着ているのは、洋服ではないし、着物でもない。
それは型であって隙間であり、時間のゆらぎであって動きや流れそのものだ。色であって温度であって、自分のたわみであって他者のふくらみなのである。しかも着る前から着ていて、脱いでからまた着つづけている。部分と全体を取り換えたりもする。
小夜子が着ているのは言葉のようにも思われる。なぜなら、言葉をいつ着脱しているかといえば、どんな言葉の天才もそれがいつだとは言いきれない。ずっと着脱しつづけているとしか言いようがない。きっと小夜子はそのような言葉のごとくに概念を着て、述語を羽織り、形容詞を穿いて、句読点をピンとフックで留めるのだ。ニコライ・ゴーゴリがペテルブルクを着たように、ボリス・ヴィアンがパリを着たように。
けれども、それだけではない。小夜子はそもそも体を着つづけている。佐藤信や勅使川原三郎のパフォーマンスに応じるのもそのせいなのであろうかが、そのような舞台に出る以前から、小夜子は体を着た人なのである。いや身体ではなく、心体だ。
おそらくは、山口小夜子は少女のころから心体を問いつづけてきた舞人なのだろう。今度デートするときは、月か黒海か、昭和四年かビザンチンか、あるいは世阿弥がドビュッシーなどを着てもらうつもりだ。





(撮影 中道淳)
投稿者 staff : 2007年08月30日 16:12
コメント
はじめまして
キリンを着て黒海を舞う人 初めて拝見させて
頂きました。
とても素晴らしい文章、感謝感動。
有り難う御座いました。
(やまてつ)
投稿者 山口哲 : 2007年09月23日 01:30