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2005年10月14日
秋の講演録 〜中京大学公開講座篇
10月5日、中京大学人工知能高等研究所、名古屋市科学館主催、中京大学公開講座ソフトサイエンスシリーズの第26回目が愛知県名古屋市にある名古屋市科学館サイエンスホールで開催された。
ソフトサイエンスシリーズとは、中京大学が生涯学習の一環として年8回程度の公開講座を行っており、4シリーズある中の1シリーズ。もとは「人工知能」と銘打っていたが、現在の「ソフトサイエンス」に改称した。ほかには「経済・経営」「健康・余暇・スポーツ」「文化・芸術・教育」があり、各分野の専門家が毎回顔を変えて講演をしている。
今回は講師として松岡正剛が『情報はひとりじゃいられない 〜「知」と「遊び」のための編集工学』と題し、1時間30分の講演を行った。参加人数は400名にものぼる大盛況。その講演の模様をお伝えしよう。
●情報をひとりにさせない
松岡:「情報はひとりじゃいられない。この意味はどういうことかというと、情報はどこにでもあります。
コップを例にとりますと、コップだと思うには何か刺激を起こしてあげないといけない。その瞬間、コップとなる。しかし、実はコップにはたくさんの呼び名があります。わたしはISIS編集学校というネット上の学校をやっているんですが、最初にいくつかのお題があります。その中にコップの呼び名を30回言い換えてくださいというのがあります。(演台に用意されたコップを持ち上げる)これは“コップ”ですよね。でも言い換えると、容器であり、日用品であり、物体ですよね。これはコップだと思うためには何かが自分で立ち上がらないとコップになりません。めぐりあった名前と自分との関係が果たしてそれでいいのかどうかというのは、一回ずつたくさんの可能性を秘めています。それが情報なのです。たったひとつだと思っているものに、たくさんの情報が詰まっています。
情報とわたしたちの間に何かが加わらないと足りないのではないでしょうか。たくさんの言い換えのインターフェース、間の関係を変える何か、フィルターが必要ではないでしょうか。フィルターのひとつひとつに情報とわたしたちの関係が転移するのです。転移させ意味を与える、その過程のことを“編集”と呼び、手伝いをすることが編集工学なのです。」

●情報を呼び出す
松岡:「結局、情報というのはたくさんあるけれども、われわれが関わらないと情報じゃないんです。わかりやすくというと、情報は呼びだしを待っているのです。その呼び出し方によって、情報が出てきます。情報そのものが何かということも大事なのですが、情報を呼び出す手立てというものにたくさんのものが潜んでいるのです。情報はありかをもっている。だけどありかというものはいろんなところにありますけれど、呼び出され方を待っているのです。
では、どうしたらThere(むこう側)にある情報を呼び出して、Here(こちら側)にもってこれるのでしょうか。情報というのはありかがあって、しかもフィルターをかけて、編集をしなければいけませんが、もってくるところには渡し方があるわけなのですよね。つまり、世の中にいっぱいあるアドレス・ありかをもうすこし動かしたい、フィルターの数もふやしたい、便利にしたい。もってくるところにも、つながりがすぐわかるようにしておきたいのです。
情報をひとりにさせてはいけません。」
●イマジネーションを生かす方法
松岡:「われわれはたくさんのイマジネーションをもっています。地球上に遺された最大の資源はイマジネーションです。
だから、われわれはたった一人のイマジネーション、表現だけではなく、他者がさまざまなおこなっている情報表現を、そのメソッドとともに入手して、学んで、影響をうけて、少しは借りて、そして相互的な表現運動、活動をしたっていいわけです。実際にはそうしなくても影響をすでに受けているわけです。
情報というのは体の奥に、生物に、文化に、他者の中にあります。それがアートになったり、科学になったり、ひとつのデバイスにもなっているのです。こういうことを組み合わせながら、情報の編集ということを考えているわけです。」
●内と外をつなげるために
松岡:「情報というのはひとりではいられないけど、ひとりにしちゃだめでもある。しかも、外なるシステムと内なるシステムというのは一緒ではない。体を境目に、脳やこころを境目に、皮膚を境目にして、内なるシステムにも情報があふれているし、その取り出しや手続きは、それぞれ文化によって違います。
一方、外なるシステムはややグローバルになってきています。同じようなケータイやPCや映画やテレビがあります。しかし、そのなかに入っているコンテンツはじつは文化であったり世界遺産であったり、英語だったりするわけです。外なるシステムが非常にシームレスでユニバーサルなものを目指しているにもかかわらず、その中のコンテンツがどんどん多様になっている。だから今、われわれは内なるシステムと外なるシステムの間のインターフェース、手続きやフィルターとコンテンツをどうやって“編集”していくかが問われていくと思うのです。」

●昨日一日の情報圧縮
松岡:「われわれは昨日一日を思い出すのに5分もかからないのです。昨日、15時間起きていたとして全部思い出すのに、1時間かけて思い出す必要はありませんね。何時におきたっけ、御飯なんだっけ、テレビみたっけ・・・、通勤電車どうだっけ、クエスチョンを立ててはアンサーを入れているわけです。
実は昨日一日はリアリティ、アクチュアリティとしてあるわけじゃないんです。実はわれわれは編集的にしか昨日一日をアクチュアルなものに語れません。2000分の1とか、5000分の1とか、200分の1とか情報圧縮、濃縮せざるえなくなっている。情報というのはそのまま抜け取れないのです。
われわれの日々は非常にパターン化してきました。想起の方法が非常にワンパターンになっているためです。われわれは気がつかないでひとつの思い出し方をしてしまっているのです。PCとかネットワークとかを使いながら、電子の力も借りながら、意外な想起の方法、思い出があるのではないでしょうか。」
●最後の資源はイマジネーション
松岡:「先ほども言いましたけど、われわれが地球に残された最後の資源というのはイマジネーションです。
編集の本質はイメージをマネージすることです。そしてマネージされたものをイメージに戻すことなんです。コップにはすでにイメージがマネージされすぎている。コップをもう一度イメージに戻すには能力が必要なのです。わけのわからないものがあるとすれば、これをもっとマネージしてビジネスにしたり、的確なものにする必要がある。
わたしはイメージとマネージの関係を取り戻して、最後の資源のイマジネーションに問いかけることをやってみたいなと思っています。」

(05.10.14 齋藤広介)
投稿者 staff : 2005年10月14日 16:14
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