| 1900年 |
生誕 「マックス・プランクが、旧時代を絶縁する量子常数hを発表した同じ年の同じ月に、私は大阪市船場に生まれた」 ――『ヰタ・マキニカリス』 |
| 1912年 |
須磨天神浜でアメリカ人飛行家の水上飛行を見て、飛行家になることを夢見る |
| 1914年 |
友人と同人誌「飛行画報」を発行 |
| 1919年 |
飛行家になるために上京するも果たせず。日本自動車学校に入学。自動車免許を取得 |
| 1921年 |
佐藤春夫の家の離れに仮寓 |
| 1922年 |
「チョコレット」「星を造る人」を「婦人公論」に発表 |
| 1923年 |
佐藤春夫の序文を得、イナガキ・タルホ名義で金星堂から『一千一秒物語』を上木 |
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※ 時はプロレタリア文学全盛時代にあり、稲垣足穂の軽妙洒脱な作風は孤立していたが、折しも勃興した新感覚派の最前衛と目され「文藝時代」の同人に迎えられる。文壇とのつきあいはなく、新感覚派に好意的な「文藝春秋」「新潮」「新青年」を主な発表の場とした。 |
| 1926年 |
『星を売る店』(金星堂)刊行 |
| 1928年 |
『天体嗜好症』(春陽堂)刊行 |
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※ 1930年代は創作活動が停滞。1940年にホモセクシャル傾向を告白した自伝小説「弥勒」の一部を発表。翌年チフスで入院。敗戦後は『弥勒』(小山書店)をかわきりに、『宇宙論入門』(新英社),『ヰタ・マキニカリス』(書肆ユリイカ),『悪魔の魅力』(若草書房),『彼等』(桜井書店)を次々に上梓。1950年に京都府の児童相談所に勤める女性と結婚をし、京都・宇治桃山に移り住む。 |
| 1968年 |
『少年愛の美学』(徳間書店),『僕の"ユリーカ"』(南北社),『東京遁走曲』(昭森社)刊行 |
| 1969年 |
『少年愛の美学』が第一回日本文学大賞を受賞。『稲垣足穂大全』(現代思想社・全6巻)の刊行が始まる |
| 1970年 |
『ライト兄弟に始まる』(徳間書店)刊行 |
| 1971年 |
自分カタログというべき『タルホ=コスモロジー』(文藝春秋)を刊行。同時に、大阪と東京で「タルホピクチュア展」を開催。長年書き溜めた本が次々と本になり、70歳を越して、社会現象となる。 |
| 1975年 |
『人間人形時代』(工作舎)刊行 |
| 1977年 |
最後の本、『男色大鑑』(角川書店)を刊行。10月25日、結腸癌で永眠 |